私の世界

社会人になったばかりの人間の日々不定期日記。ブログ名は 泣くな、はらちゃん から

アニポケのロケット団、本当に好き

本当に眠くて、諸々追い込みに図書館に来たのにたぶん合計2時間くらい寝てしまった。どう考えても、深夜にロケット団の二次創作を漁りにpixivへ漕ぎ出していたせい。
アニメ「ポケットモンスター」のロケット団は、往年の推しだ。切羽詰まった時に限って沼が唐突に再燃することが多いのだが、それが今。この沼が生活の中心になるのは人生で3回目くらいなんじゃないか。
ちょうどアマプラで映画が見放題な時期なのがたちが悪い。時間が溶ける、時間が。

いつから好きだったんだろう。
今は亡き日曜朝7時半のポケモンスマッシュ(よく休日のそんな時間にわざわざ起きてたよな!?)をリアタイしていた時まで遡る気がする。
前半30分の過去作エピソード放送!で、ロケット団メイン回を一通り英才教育として叩き込まれたからだろうか。

ちなみに今はなんと「ガーディとコジロウ」「ムサシとドクケイル」「ニャースのあいうえお」「みだれひっかきでサヨウナラ!」「ムサシとミミッキュ」など一通りのロケット団回が公式YouTubeでタダで観られる。有り難すぎる。いつまでもあると思うな公式からの供給。

肝っ玉だけどツンデレでかっこいい苦労人ムサシ、
ヘタレだけどどこまでも優しい「いい人」コジロウ、
二本足で人語を話すとかサトシのピカチュウよりよっぽど珍しいだろ苦労猫(?)ニャース
3人の魅力はとても一言じゃ言い表せないから上記のエピソードを観てほしい。


私の推しは悪の組織(の紅一点)であることが少なくはないのだが、そのルーツは彼らにあると思う。あとヤッターマン
何が好きなのか、割と抽象的な部分までもっていくと、悪「役」を自覚しているところと、絶対的な正義のなさを教えてくれるところ、だと思う。

「ラブリーチャーミーな敵役」は、 正義が悪になって悪も正義になりうることをジャリンコ(テレビの前の子供たち)に体を張って示している。「自分たちがやるのは正義の悪」という一本の軸をもってくるくると裏表が入れ替わるコマみたい。20歳になっても彼らのそういうところがかっこいいと思い続けてる。


あと、私はこれ全国民の永遠の課題だと思うけれど、「コジロウとムサシ付き合ってるのか問題」、2022年現在の私は「家族なのでどっちでもいいけど、公式からは付き合う供給はなしでお願いします」に落ち着いている。

ロケット団は、新たな家族の形を提示し続けているんだと思う。
過去編を見ればわかるけど、彼らの育ち、一つ目の家族は本当に苦しい過去でしかない。
幼い頃に両親が失踪して雪をご飯に見立てて食べる超極貧生活、親戚中たらい回しにされて夢にも愛にも破れたムサシ。
超豪邸で育ち毎日習い事、好きでもないドS許嫁との結婚が決まっており、自由を求めて逃げ続けたコジロウ。
好きな子のために命がけで二足歩行と人間の言葉をマスターしたのに「気持ち悪い」の一言でふられたニャース
そんな彼らがひとつの目標の元、互いを思い合いながらものすごく長い時間を過ごしたロケット団という場所は、三人にとって二つ目の家族なんだろう。

結婚して、子供が生まれて、血を分け合った人たちだけが家族じゃないこと。二つ目の家族が一番大事な家族になりうること。
テレビの前の、全員が幸せな家庭にいるとは限らない子供たちに、ロケット団は「新たな家族の形」を教えてくれているんじゃないだろうか。

過去のトラウマのせいか、この人たち、相手がより幸せにいられるなら自分と一緒にいない方がいいって自ら幸せを手放すきらいがあるから怖いんだよな……このメンバーでいるのが一番幸せだって気づいて!?幸せになっていい人たちだから手放さないで!?となる。

あ、で、付き合ってるのかどうか問題だけど、2人の間にあるのは恋じゃなくて愛だから、付き合うとは違うんじゃないかなあ。でも、お互いがお互いのこと大好きなのは絶対そう。ムサシは愛情表現全然しないけど、愛をもらっていることには気づいているし、置いていかれたら耐えられなくなると思う。
デカすぎる家族愛が私の中での結論。ただ、彼らの「好き」をどう解釈するかは人によるし、イチャイチャしてる二人の二次創作読むのは本当に大好きです。界隈の皆様、供給を本当にありがとうございます。
子供向けアニメの中に挟まる愛と真実の悪、この沼は深いです。